BLOG飯島康夫の考えを発信するブログ

2025.8.9

写真は高校の時の康夫。上のヘッドバンド


 

お久しぶりーふ。

2年ぶりか3年ぶりに書いています。

 

さっき夢を見ました

 

2025年8月9日

子供を寝かしつけていたらいつの間にか自分も眠ってしまって、気付いたら夜の1時。

夢を見て目覚めた。その夢がどこか強烈で記憶に残ってる。。

 

ある神社みたいな広い和風な場所で寝泊まりしている自分

外に出ると、下校途中?の少年に声を掛けられた。

 

『康夫さんの恩師の栗原先生の娘さんは、僕の友達だよ!』

 

そのセリフで、察知する

“ここの世界は自分の物語が世界中に知れ渡っている世界線なんだ”

 

その子供に何て返したか、そこは覚えていない

 

境内には1人、20代くらいの男性が立っていた。その横にはその男性の母親らしき女性がいた

 

声を掛けた

 

『夢はあるか?』

 

何故その言葉をかけたらわからない。ただ、彼の表情がどこか寂しさを帯びていたから。

 

男性は応える

『あ、いや、、まぁ、有ります。でも、、』

と、母親の顔を伺う男性

 

その瞬間に切り返す

『誰かに無理だと言われて止めるような夢ならやめた方が良い。人なんて関係ないだろ。やりたいならやれよ』

 

続けて言う

『親は子供が心配なんだ。夢を追うというのは色んな意味の危険が伴う。だから心配。それは愛。君も子供が生まれて子供が大きな夢を言い始めたらたぶん、、”止めときなさい”って言うと思う。それは愛。』

 

と言った瞬間、人だかりが出来てしまって目が覚めた

 

目覚めた瞬間、昔の自分を思い出した。。

 

高校からバスケを初めて、プロ選手を目指して活動していた頃。

バスケに向かう途中、親からメールが入った

そこには

『あんた、いつまでスポーツなんてやってるの?!いいかげんにしなさい。』

 

スポーツがお金になる時代ではなかった。。

エリートでもない自分は、周りからの理解を得られる事は無かったから辛い時期があった。。

 

母親は自分の活動を応援している唯一の人間だと思っていたから、その文章を見た瞬間に大泣きしてしまった。

 

泣きながら体育館に着いて練習。

 

悔しさとか、寂しさ、心苦しさで胸がいっぱいになったけど、練習終わりに

 

【 それでも夢を追います 】

たった一言、メールで返した。

 

すると

『それなら応援するよ』

 

 

 

 

 

その瞬間

『自分は試されていたんだな』と。

 

誰かに言われて止めるような夢ならやめた方が良い。

 

そんな10代のエピソードを思い出した夢でした。

 

終わり


ページトップへ